歴史

私たちが使っている文字では、話し言葉を完全に書き取ることはできません。しかし、文字のかわりに非常に簡略化した符号を使えば、話すスピードそのままに言葉を書き写せます。これが速記です。

西欧の速記

速記はローマ時代から

世界で最古の速記史料は、ギリシャのアクロポリスで発見された大理石の破片と言われています。紀元前350年ころのもので、簡単な符号でアリストテレスらへの献辞が刻まれていました。

しかし、発言を記録するために速記が広く用いられるようになるのは、もう少し時代が下ってローマ時代になってからです。

ローマの弁論家キケロは、貴族階級ではなかったにもかかわらず執政官に選ばれました。選挙に負けた貴族カティリナは、政府転覆の陰謀をめぐらします。紀元前63年、陰謀を察知したキケロは、元老院でカティリナの弾劾演説を行いました。キケロの解放奴隷であったティロは、この演説をすぐさまろう板に鉄筆で記しました。これが現代につながる速記の起源とされています。


元老院でカティリナを弾劾するキケロ Cesare Maccari (1840-1919)

いったいどこまで、カティリーナよ、われわれの忍耐につけ込むつもりだ」(ラテン語:小川正廣訳)
Quo usque tandem abutere, Catilina, patientia nostra?

ティロは語句の頭文字を抜き出し、QPNと速記しました。

速記符号の発明

近代速記法の起源は、1588年、イギリスのティモシー・ブライトが発明した速記法といわれています。当時のイギリスは、エリザベス一世の絶対王政にあって、カトリックのメアリ・スチュアートが陰謀に破れて処刑されたり、宗教で政治が混乱した時期でもありました。そういう中で、ほかの人には読めない速記法が「秘密の速記法」として注目されたともいわれています。

その後、1837年にアイザック・ピットマンが、単純な符号を使ってあらわす記音式速記法を発明し、筆記のスピードを格段に向上させました。このピットマン方式は世界の近代速記法に大きな影響を与え、半世紀後、日本にも田鎖式速記法が誕生します。


ピットマン式符号の例

単純な直線や曲線を用いて、符号の大きさ、位置、濃淡で音の違いをあらわします。文字のつづりにかかわりなく、発音が同じ単語は同じように書きます。

日本の速記

10月28日は速記の日

日本では、明治維新後、西洋の速記が欧米文化の一つとして紹介され、日本語速記法誕生のきっかけとなりました。


田鎖綱紀 岩手県盛岡市出身
「ウェブもりおか 盛岡市先人記念館」より
転載 (同館の許可なく複製できません)

1882年(明治15)9月19日、田鎖綱紀(たくさり こうき)が、ピットマン系のグラハム式に基づいて「時事新報」紙上に「日本傍聴記録法」を発表しました。また、同年10月28日、東京で第1回講習会を開きました。これを記念して、日本速記協会は10月28日を速記の日と定めました。

この速記法は当時の人々に鮮烈な印象を与え、田鎖綱紀は伊藤博文から「電筆将軍」の称号を贈られたといいます。

その後、講習会修了生の若林玵蔵、林茂淳らにより田鎖式符号に改良が加えられ、速記は実用化に向けて大きく踏み出します。

1883年7月、改進党系の「郵便報知」と自由党系の「自由新聞」の間で、演説会記事の正誤をめぐる紛争がありました。若林は報知社の依頼を受け、自由新聞社応接室で行われた問答を速記し、その日のうちに文字化した原稿を手渡しました。これが速記実務の始まりです。

「怪談牡丹灯籠」速記本から言文一致運動へ


「怪談牡丹灯籠」初版本の表紙
(明治17年 東京稗史出版社)

速記の利用は口述、講演、講談などにも及び、特に、三遊亭円朝の講談を速記した「怪談牡丹燈籠」に始まる講談速記が有名です。話し言葉に近い文体で書かれた速記本は大衆に広く親しまれ、言文一致運動の大きな推進力となりました。

「怪談牡丹灯籠」初版本の表紙には、円朝の名前と並んで「若林玵蔵筆記」と明記されており、この時代の速記者がいかに重用されていたかを物語っています。

若林は「怪談牡丹灯籠」の序文の中で誇らしげにこう記しています。

「所謂言語の写真法をもって記したるがゆえ この冊子を読む者はまた寄席において圓朝氏が人情話を親聴するが如き快楽あるべきを信ず もって我が速記法の効用の著大なるを知りたもうべし」
※文字づかい、スペースは原文どおりではありません。


初版本1ページ目に掲出されている若林の速記符号
「国立国会図書館近代デジタルライブラリー」より転載
(同館の許可なく複製できません)

この怪談牡丹灯籠は 有名なる支那の小説より翻案
せし新奇の怪談にして すこぶる興あるのみか 勧懲(勧善懲悪)に
裨益ある物語にて 子(圓朝氏)が常に聴衆の喝采を博
せし 子(圓朝氏)が得意の人情話なり

これを今の衆議院式で書くとこうなります。

衆議院式は田鎖→若林の系統の符号ですが、随分違っていることがわかります。改良を重ね、符号がずっと単純化されました。

第1回国会から速記があるのは日本だけ

国会の速記は、1890年(明治23)の帝国議会開設と同時に貴衆両院で採用され、今日に至ります。第1回の国会より完全な会議録が残っているのは、先進国の中では日本だけです。


第2回国会の様子を描いた錦絵 楳堂小國政(生没年不詳)画

演壇の下で向かい合って座っている4人が速記者です。

より速く、より正確に、より安く

1899年(明治32)、東京―大阪間に長距離電話が開通するやいなや、「東京時事新報」はいち早く電話速記を採用しました。長文の電報で記事を送るより、電話口で速記者が直接受けるほうがずっと速くて正確、かつ安上がりだったのです。間もなく、地方紙、通信社などでもこぞって破格の待遇で速記者を雇用するようになりました。


明治35年11月5日付 「時事新報」
「東京大学総合研究博物館 画像アーカイヴス
日本の新聞広告3000(明治24年-昭和20年)」より転載
(同館の許可なく複製できません)

田鎖綱紀が日本語速記法を考案して以来今日まで、多くの人によって速記符号の研究がなされ、中根式(1914)、早稲田式(1930)、衆議院式(1939)、参議院式(1947)という、現在4大方式と呼ばれる速記方式が生まれました。ほかには、石村式、小谷式(V式)など、今日までいろいろな方式が発表されています。